vol.005 ヘルパーの給料は何故安い

令和2年9月に発表された国税庁の民間給与実態調査によると、日本人の平均年収は 436万円。

医療・福祉に限定すると399万円。

さらに、この医療・福祉から医師と看護師などを除くと300-350万円程度と見られている。

 

変則勤務の重労働。

その上、意思疎通が困難(になりつつある)な方との深いコミュニケーションが求められる。

にしてはいささか安すぎる印象がある。

 

介護というこれから隆盛を極める業界かつ高齢社会にある中、何故彼らの給与は上がらないのか。

需要があるのに高待遇で迎え入れられないのか。

 

一番大きな要因は一言で言えば、

売上が頭打ちだからである。

 

多くの産業では

このくらいの利益を出したい。

このくらい売上原価や人件費が掛かる。

他社はこのくらいの値段だ。

こういった部分から商品やサービスの値段を自由に設定する。

介護の世界でも有料老人ホームは比較的、この要素が強い。

 

対象顧客は減るかもしれないがより良いサービスとスタッフの確保のために高価格帯老人ホーム路線で運営することも自由であるし、少しでも社会的な救済となるべくリーズナブルな価格帯で展開するのも自由である。

その他、介護保険に関わりを持たない高齢者向け事業についても同じ事は言える。

介護用ベッドの販売、介護食の配食サービスなどがこれにあたる。

 

しかし、介護業界の多くの事業者は実は行政から値段を設定されてしまうのである。

例えば、朝から夕方に掛けて高齢者が通うタイプの介護施設がある。いわゆるデイサービスだ。

デイサービスの場合、ひらたく言えば「A社、あなたは質の良い介護職員いっぱいいるから8時間介護したら一万円を利用客に請求していいよ。」

「B社、あなたは並の職員ばかりだから8時間で9000円請求していいよ」

といった具合である。

※実際には保険外部分の食費などの費用や地域係数などもあるが、先述の例は極めて噛み砕いた表現であることをご了承願いたい。

 

頑張って質のいい職員を雇い、教育して、働き続けてもらっても並の施設とそこまで変わらない。寸志程度の加算が認められる。

その加算のうちの幾らかが職員のこと給与に反映されればいいのだが、こればかりはその企業の考えに基づく。

 

そして、さらに問題なのは介護保険が2000年に始まって以来、湯水の如く財源を散財し続けてきたツケが回ってきたことである。

つまり、今までは10000円貰えていたのが3年ごとの介護保険法の改訂のたびにサービスの質は変わらなくても

9800円、9500円と減産されているのである。

さすがに事業者も頑張っている職員を減給はできないので、給与は良くて維持という所もある。

カラー印刷禁止、レクリエーションに金をかけるな、皿は色が剥げてきても割れるまで使い回せといった具合にかなり目を覆うような節約を強いられている事も少なくない。

 

これでは冒頭の平均年収は縮まることはなく、離れていく一方である。

働きがいのある仕事、社会貢献、自宅近くで働けるなどといったワードだけでは職員のモチベーションは保てない。

 

そしてこれはヘルパーだけでなく、ケアマネージャーなどにも言える話である。

一定のキャリアや資格によって手当は付くものの、売上の頭打ちで給与がなかなか上がらない事も少なくない。

 

そうなると伸び代や情熱のある若い職員は少しでも好待遇の同業、他産業へ転職してしまう。

 

企業努力や姿勢だけで給与が上がらないなら、あとは介護保険などの財源を当てにするしかないのである。

しかし先に述べたようにその介護保険はかなり財政難となっている。若者が選挙に行かない事も手伝い、高齢優遇の政策ばかりが採られてきたためだ。

 

40歳以上の人は給与や年金から介護保険金を天引きされているが年々増えている。

それでも事足りず最近は、介護保険サービスの負担割合を一定条件で2-3割にしたり、ケアプラン作成にも利用者に負担させようとしたりとさすがに政府も手を打ちはじめている。

もっと高齢者自身にも負担をしてもらって介護保険制度を延命させなくてはならない。

そして、介護職員が将来まである程度の年収への期待やビジョンを持って働けるようにしなくてはならない。

 

介護先進国などと言われている日本だが、

実は1m先が見えない暗い部屋で一本のロープの上を綱渡りしているような状況なのである。

 

そしてこれは介護にとどまらず、医療の世界でも同じことが起きている。

※医者が保険外治療に躍起になるのはこのためである。

 

国の宝である子供や若者が安心して働ける環境を高齢者は歓迎してほしい。

そして若い者は選挙へ行こう。

 

実はそれが状況打破する最初の一歩であったりするのだ。

vol.004 老人ホームと施設

私の介護におけるキャリアの中では施設介護の方が長い。

なので施設介護にはやや辛口なことはご了承願いたい。

 

自宅で介護できない、もう限界だ、したくない、そんな時に出てくる選択肢がいわゆる老人ホームである。

 

日本においては老人ホームを大きく二分することができる。

それは「施設」と「老人ホーム」である。

 

制度的な話をすれば

施設とは

特別養護老人ホーム(老人福祉施設)と

介護老人保健施設を指す。

民間が運営する有料老人ホームやグループホームは厳密には介護保険施設とは言わない。

前者は全て行政や法律が定めた通りに行う介護である。

金太郎雨のように数ある特養もどこを切っても基本的には同じサービスで同じような人員体制である。

 

対して民間などが運営する後者は価格設定も人員体制も入居条件もまちまちだ。一定のルール以外は事業者のコンセプトによるのである。

介護に困っている人を少しでもリーズナブルに引き受けられる老人ホーム

高い代わりに贅の限りを尽くした老人ホーム

元気な方または重度者に特化した老人ホーム

など様々である。

 

しかし、私の考えではもう一つ施設と老人ホームとに分ける軸が存在する。

 

それは

画一的。効率重視。入居者の個性が尊重されない。施設都合。住環境として好ましくない。介護を目的に入所。

こういう所は施設である。

総じて施設はマンパワーが圧倒的に不足していて慢性的な人員不足から抜け出せない。

そして大抵は特養や低価格有料老人ホームの一部がこれにあたることが多い。

(その理由は次回、vol.005で述べたい)

 

逆に、入居者の個性やキャラクターを尊重し、極力それに沿った対応をする。住環境として魅力的で、介護を伴う生活を目的に入居するのが老人ホームである。

高価格帯を中心とした有料老人ホームや、一部の経営状況の良い特養に見られやすい。

 

そしてこう申し上げるとほぼ決まって言われることがある。

「高い施設を売りたいんだろう、皆が金持ちではない」と。

言わんとしていることは重々分かる。

 

マンパワーが圧倒的に足りない施設が多い中では絵に描いた餅かもしれない。しかし、それは事業者や職員の都合であって入居者や家族は知ったことではない。

人が足りないからって人権や高齢者個人が軽視されていいわけではない。

 

そして今は高級とまでいかなくても、現実的なある程度の貯蓄と年金で入居できる素晴らしいホームも少なくない。

 

建物がボロくても職員の志が高い老人ホームも多々ある。

高級なホームとそうでないホームの違いは次のような違いがある

・職員が豊富にいる(制度上の配置義務以上)

・館内が広い、ゴージャス、共用部が多い、広い

・病院や駅への送迎がある

・駅近、都心近く、人気住宅地

・医療ケアやリハビリの付帯サービスも充実

などである。

 

先に述べた、現実的なある程度の貯蓄と年金で入居できる素晴らしいホームとは、職員が豊富にいる事に重きを置き、他へのこだわりを手放す事で出会えるだろう。

 

勿論スタッフが多いだけではダメで、正規雇用のスタッフが多く、営繕要員も多く、マネジメントがしっかりしていることも前提として付け加えたい。

多少スタッフが手厚くても郊外で駅から遠く、建物や設備にあれこれ注文しなければ、素晴らしい老人ホームは選べるのである。

 

少なくとも介護施設はどこも同じ。

同じなら安くて近い方がいいとは思わない事である。

もし親が認知症で時間や居場所、この顔さえも分からなくなっても同じである。

職員が足りない事を盾に介護や人権を軽視する施設なんかに入ってしまったら車いすやベッドに押さえつけられてしまう。

そうなったら入院していることと変わりなく日ごと物凄い速さで認知症は加速し、足腰は効かなくなっていってしまう。

意思疎通のできない寝たきり老人の簡単レシピである。

 

施設ではなく、自分たちに合った素晴らしい老人ホームを見つけていく具体的な方法は今後述べていきたい。

vol.003 自宅で介護をするということ

親や、兄弟、配偶者がいよいよ介護が必要になってきた。

その時、まず選択肢は2つ。

1.自宅で介護ををする

2.老人ホームで介護をしてもらう

この時点では1の自宅介護が圧倒的に多い。

 

自宅で介護をすることを国は推奨するし、

ケアマネや地域包括支援センターも先ずは

自宅で介護してもらうのを前提に話す。

余程、固い意志で要介護化=老人ホームと決めていない限り、いきなり老人ホームと思う人も少ない。

 

しかし、今までに講師をさせていただいた時など元気な高齢者の話を聞くと、「子どもや家族に迷惑はかけたくない。」中には「もし私がボケたり歩けなくなったりした時のために今から老人ホーム探しているの」という方も実に多い。

一方でいざ介護を受ける立場になってみて、いきなり老人ホームというのはやはり時期尚早なのだろう。自宅生活を選ばれる方はとても多い。

 

特に妻からの介護、娘さんやとても関係性の良いお嫁さんが同居または近居にある方は、比較的ストレスがなく過ごせるようだ。

一方で、夫、息子が主たる介護を行う者になると問題も少なくない。

多くのケースで見られるのは、プライドの高さや社交性が女性より低いことが原因なのかアドバイザーに当たるケアマネや関わる各事業の担当者の意見に耳を貸さずに「こうするべき」といった自分の考えを押し通すことが多い。

そのこうするべきが、良い方向に作用していりうちは良いが、それが少し又は大幅にズレていることも少なくない。

 

介護を受けるのがかなり苦痛そうな方も何名も見てきたし、そういった独り相撲な介護をしている側もかなりストレスがあったように思う。

比較的人の意見を聞ける男性でも、やはり介護鬱などは大なり小なり見受けられる。

 

自宅で介護をする際には、訪問介護やデイサービスと言った様々なサービスを受けられるが、とは言ってもほとんどのケースでは自宅で介護をする時間の方が長い。

それも昼夜問わず、いつ何があるか分からない。

仕事中に親が家で転んで救急搬送されたから早く病院に来て欲しいとTELが鳴ることもあるだろう。

夜中トイレに行きたいと起こされることもあるだろう。

意思疎通がままならない認知症の方であれば、壁紙を剥がしたり、徘徊して警察沙汰になったり、それこそボヤ騒ぎ、車やら自転車での事故など挙げればキリがない。

 

介護者はそういった不安が付き纏うことになる。

そうした不安やストレスを抱え込むことは決していけないことである。

最終的に決めるのは本人または家族だが、専門家には心を開いて相談し、時には不本意な意見が出ても、先ずは受け入れる勇気も必要だ。

 

また、介護をする環境作りとして、

福祉用具の検討、家具の配置換え、自宅や車のバリアフリー化、バラバラに住む家族の交代での介護などもぜひお勧めしたい。

 

誰のための介護なのか。

忘れてはならないのはそこだ。

妻への介護なら、妻だったらどういう介護、生活、サポートを望むだろうか。

先ずはそれに沿って考える方が少なくとも本人のQOL(生活の質)は遙かに高いのではないか。

今までに親や妻に迷惑掛けっぱなしだったから介護に身を捧ぐことで罪滅ぼしをしたい。そんな考えは絶対に捨てるべきである。

 

そして、最近問題になっている介護離職の増加。これはとても深刻である。

介護のために無職となり、ブランクができ今より年齢を重ねた時、どれほどの職があるか。

今は行政や民間企業の福利厚生でも介護をサポートする制度はたくさんあるし、中には介護離職を防止する事を事業とする企業もある。

 

介護をする側は、職があろうがなかろうが、自分の家庭があろうがなかろうが、自分の生活は極力変えずにどう適切な本人のための介護をするか、そこを大事にしてほしい。

 

また、これはなかなか難しいのだが、もし、介護を受ける側の方がこの記事を読まれていたとしたら、これだけは忘れないでほしい。

 

自宅で家族や親族から介護を受けられているのは本当に幸せなこと。家族が主体となって色んな専門家と見えないところで相談して色々考えていることを。

介護が必要になったからって家族から介護を受けられることは決して当たり前ではないのである。

最初は感謝していても毎日それが続けば当たり前にもなってきてしまうし、時には意にそぐわない介護のされかたもあるだろう。

声を荒げてしまう時もあるだろう。

それでも自分のために尽くしてくれている家族とそれをサポートしている専門家への感謝を忘れなければどんなに大変な介護度になっても愛され婆さんや好々爺でい続けられるのだ。

vol.002 ヘルパー(介護職員)という人種

3K(キツい、汚い、給料安い)職場。

夜勤、シフト勤務。

肉体労働。

要介護者への陰湿な虐待や事件の報道。

介護の仕事と聞くとこんなイメージが先に来ないだろうか。

そして、素晴らしい仕事だが自分はやりたくない、と。

 

その上、国は介護を単純労働として扱っている。

もう出るわ出るわマイナスイメージのオンパレード。

 

もちろん実際に介護の現場で従事してみると、

とても面白い部分がある。

一言で言うなら、人と人の深い関わりができるってことになるだろう。

介護される高齢者を、要介護者とか世話をしてあげるべき人という見方ではとても気づかない部分ではあるのだが、多くの要介護者は言うまでもなく人生の大先輩である。

それも戦前、戦後、高度経済成長、オイルショック、バブルを現役として生き抜いて、子供や孫の世話をしてきて、何人もの友人や親族を亡くしてきた人も多い。

そんな人の体型はノンフィクションドラマの連続である。

そんな今の日本を作り上げてきた人たちがたまたま今、車椅子に乗り、寝たきりになり、記憶や配偶者の顔も忘れたりしているだけなのだ。

そんなその人ごとのドラマを介助の合間に聞くのはとても楽しかった。

 

私が一番記憶に残っている事例はこんな感じだ。

ガンコ一徹の爺さんの世話に家族は手を焼いて、押し付けるように私が勤務していた有料老人ホームにあずけた。

入居してからも家族はあまり面会に来ない。たまにケアマネとの面談などで来ても基本的には本人には会わずに帰る。

案の定、その爺さんはいつもダンマリ、たまに口を開けば文句や罵声ばかり。必然的に周りの入居者や介護職員も距離を置いてしまう。

そこで私は思った。

この怒りっぽい爺さんはなんで怒りっぽいんだろう。

そこでその方には特に意識して色々話を聞いてみた。

 

ちなみに、よくヘルパーが要介護者に対し「今日はご飯食べましたか?」とか「(施設の入居者に対して)今日は寒いですね」など心の底からつまらない会話をしている事をよく見かけるのだが、そんな不毛な話に何の楽しさがあるだろうか。

仕事だから、無言では気まずいから、とりあえず会話しよう。そんな所だろう。

 

人間ってのは何歳になっても自分の話を聞いてもらいたいものである。

私が質問を良くしたのは

どんなお仕事なさっているんですか?

趣味はなんですか?

ゴルフのスコアはどれくらいなんですか?

というと、なんでリタイアして施設に入っている人にそんな訳の分からない質問を?と思われるかもしれないが、その爺さんは今までの話から最近の記憶はないどころか、どうやら記憶が50代くらいに退化していたようだ。

某大手企業の部長をされていて、週末はゴルフ三昧でスコアは100は余裕で切っていた。

そういう時代を生きているのだ。

そんな社会的地位があった方に「今朝はご飯食べましたか?」「今日は節分ですね。昼にまめまな豆まきイベントやりますよ」はあまりにズレ過ぎている。

そりゃその爺さんでなくても怒るだろう。

 

数分後にはその会話の記憶は消えているわけであるが、その人との会話のポイントは分かる。

私は上司が近くにいないときはその爺さんを部長と呼んでいた。そしてその部長は私のことが一番のお気に入りの部下だったように思う。

まぁ、私もその爺さんに散々罵られたのだが。

 

接客、営業、販売など人と人とのより深いコミュニケーションが生きがいとなる仕事はあるだろうが、介護の仕事もあながちそれから遠くない。

介護というイメージが先行してしまうが、介護職員および高齢者介護に関わる事業者ならその事を肝に銘じて欲しい。

少なくとも私は老人を老人扱い、子供扱いするヘルパーには何も頼みたくない。

人として扱ってくれる人に自分や親を任せたいものだ。

 

実際にはそうは言ってられない大変な認知症やADLの方もいるだろう。

しかし、最終的に行き着くのは、要介護者を人として扱えるか否か、介護職員としての適性はそこにあるだろう。

vol.001 ケアマネという人種。ケアマネの選び方

通称ケアマネ

つまり介護支援専門員=ケアマネージャーのことである。

 

介護が必要になると訪問介護などの介護サービスが必要になるのだが、

それらサービスを利用するには住まいのある市区町村に要介護認定を受ける必要がある。

そこで要介護1〜5という区分を取得すると、ケアマネージャーと契約し、様々なサービスの斡旋、各種相談、ケアプラン作成などのサービスを受けられるのである。

 

そして、ケアマネージャーという職種は国家資格であり、一定の介護の知識はもとより介護の現場などの職務経験が必要になる。

言わば介護のこと、制度のことをよく知るプロである。

 

しかし、

プロのケアマネージャーにお願いすれば安心!

全て解決!

といかないところが難しいのである。

 

ケアマネは一定の経験がないとなれない。

つまりはケアマネ一人一人、長年色々な介護をしてきた実績がある一方で、その中で得てきた考え方、やり方が全く違うのである。

訪問介護で働いた人、

施設介護で働いた人、

デイサービスで働いた人、

介護の経験はあまりないが看護師である人、

老人ホームの相談員が長かった人。

まさに様々である。

仕事で色々なケアマネージャーと関わったが、

本当に福祉の道が天職のような仏のように素晴らしいケアマネ

ビジネス的な考えが先立つケアマネ

いい意味でのおせっかいが好きなケアマネ

テキトーなケアマネ

間違っても自分の親の相談はしたくない偏屈なケアマネ(笑)

まぁ、様々である。

 

個人の経験に沿ってアドバイスをしていくため、職人のようであり個人事業主のようであり、まさに玉石混合。

大手企業もケアマネの事務所を構えていてもどこか帰属意識の低い人も少なくない。

 

ケアマネを選ぶ際に1番注意が必要なのは、そのケアマネは本当に自分の親の事をよく知ろうとし、家族とも関係を良好に保ち、常に最善の選択肢を用意してくれるか、である。

その逆にケアマネ自身の経験や型に嵌めようと意見を押し付けてくるケアマネは絶対にやめるべきであろう。

万一そのような最悪なケアマネに当たってしまったら即座に責任者に連絡し、他のケアマネに変えてもらうか、そもそも他の事業所を選択するべきだろう。

中には、世話になったし、、、などと最悪なケアマネに我慢する方もいるが、要介護者は消費者であり、選ぶ権利があるのである。

 

また、ケアマネージャーとはいえ、労働者である。土日祝日は基本的に休みであるが、休みの日でも相談できるのかということも重要。

相手が休みなら余程の事がないなら連絡は控えるべきだが、その余程の時に連絡が一切取れないというのは不安でしかない。

責めて転送電話対応でもいいから、誰かに即座に相談したいこともあるだろう。

 

このようにケアマネ、あるいはケアマネの事業所は千差万別過ぎて一口には括れない。

しかし、介護が必要な弱者であってもケアマネと対等の関係でありたいものである。

 

初めてケアマネを付けるときは大体が親の介護に焦っているときである。

焦っているからこそ、思いとどまってほしい。

結局は人と人。この人になら自分の親を任せられる!そう思えるケアマネが見つかるまで慎重になっても良いだろう。

vol.000プロローグ

介護業界、医療業界にモノ申す!

高齢者介護業界で10年以上従事してきて見えてきた本当の姿を広く発信したい。

同業界やその周辺域となる医療業界についても

色々考えを発信致します。

これから介護の世界で働こうとする方

自分や家族、親族、知人が介護を必要となる方

介護業界の実態を知りたい方

老人ホームを検討している方

医療や介護の業界そのものや保険制度に疑問を持つ方

発信だけでなくご覧いただいた方との交流や意見交換も図れたらと考えています。

介護の世界というのはまだまだアナログで、ヘルパーやらケアマネ等個人個人が職人のように独自のやり方考え方を持っていて世話やケアを受ける側からすると玉石混合であります。

そういう意味では私の発信も私の経験に基づく独自の考え方かもしれません。

しかし今の高齢者だけでなく、

これから高齢者になっていく人たち

これから介護保険医療保険を支えていく人たち

全ての人たちに問題提起し、業界に一石を投じるブログとなれば幸いです。

末長くお付き合い頂けますよう、宜しくお願いします。